Logs of Daichi Misawa

20171010

DaiChube

撮影:September 15, 2017

 本格的に、秋の風情になりつつあります。寒くなりましたね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。月は、満ちては欠け、満ちては欠け。本当に、満ち欠けしているのか、最近の疑問です。

 今回は、自撮り動画です。ご興味のある方が、居るかどうかわかりませんが、思うところがあり、やってみました。

 私室で即興で、撮影しています。思いつきでパッと撮りました。その場で考えながら話しているので、多少散漫かもしれません。さすがにまずいかな、と思って、ボツにすることも考えましたが、ここLogsでは、できるだけ直感性や自発性を維持したいという気持ちがあるため、また、嘘はついていないため、そのままアップロード致します。

 無作法に見えたら、申し訳御座いません。ただ、大事なのは、「作法」などという言葉にとらわれないことではないでしょうか。

 以上、自撮りでのご挨拶です。

 今回も、ご閲覧ありがとうございました。



字幕:

 「(コオロギの鳴き声)

 こんにちは、三澤太智です。

 一応、今、テストで、撮影している状況です。

 ユーチューブを使った、[映像系の]表現をしてい人って、増えてるとは思うんですけど、

 自分を出すっていうより、チャンネルの一つとして、

 自己表現っていうわけではなく、コミュニケーションの方法の一つ、チャンネルの一つ、として、

 自分だけでなく、他の人のコミュニケーションの一部にもなって、

 で、それがまた、他の人のコミュニケーションのきっかけになるような。

 そういうことが、理想としては、ですけど、できればなと思って、

 ちょっと試しに撮影しています。

 じゃあ、一応、挨拶となりますので、以上にします。」


平成29年9月18日
太智

20170909

『Culturalities』の邦訳

photo at a dinner with mentors, et al., August, 2017

 立秋の風なびく候となりました。いかがお過ごしでしょうか。秋といえばキノコ、キノコといえばカルチュラリティ。今回は、カルチュラリティの訳語について。気軽に徒然と書き出したつもりが、内容が内容のためなのか、多少長くなってしまいました、また、編集したため、少し堅く見えるかもしれませんが、以下、よろしくお願いいたします。

 まず、culturalityの考えられる二つの訳語、「文化性」と「カルチュラリティ」、を比較します。

 文化性:これは、一般の文書等で、現在、私が、使っている訳語です。まんまで、無骨、無思慮に見えることをいとわないなら、また、最低限の意図をとにかく伝えたいなら、これで良いような気がします。官僚的な。インタラクションを、対話性と訳すようなものでしょうか。

 カルチュラリティ:この訳語のよい点は、カタカナのため読みやすい、馴染みやすい、と言うことではないでしょうか。また、響きも悪くない。カジュアルに使えそうなので、ここで利用しています。問題があるとすれば、横文字一般がよく批判されることですが、ぱっと見、意味がわからないことかもしれません。

 どちらも一長一短のようです。なので、以下、補足します。

 culturalityの含意:英語のcultureには、培養とか養生、というような意味があるのですが、それについても念頭に置いてもいいかな、と思います。キノコがニョキニョキ育ってゆく、あるいは、畑を耕す、ようなニュアンス。なので、大雑把に言えば、素朴な意味合いで、カルチュラリティは、文化を耕す、色々あるけど良いコンディションをキープする、プロセス、という含意を持つ、と思ってもらって良いような気がします。

 culturalityの用法:日本では、アートと文化をまとめて「文化芸術」などと表記することが、しばしば、あると思います。しかし、アートを特定のシンボル、カルチュラリティを四季のような連続的な展開の一場面、と理解すると、実は、両者は、対極の概念のように、響きませんか。アートがブロックだとしたら、カルチュラリティは流れのような。鋼のように強固なのか、あるいは水のように流動するのか。堅牢な階段を昇ることを理想とするのか、しなやかに降ることとするのか。イコン画家なのか、花咲か爺さんなのか。不滅か転生か。このような意味で、何かについて「それはアートでもあり、カルチュラリティでもあるね」みたいな表現が、できるかもしれません。なお、これらの比較は、考察のための比喩であり、善し悪しの話はしていません。

 類語:上述を踏まえ、創造や適応などを、類語として挙げられるかもしれません。あるいは、因果や盛衰など。

 以上、culturalityの訳語について、ニッチな内容ですが、ご参考になれば。ここLogsは、気軽な場にするつもりが、なぜか真面目な内容になってしまいました。ところで、このような翻訳上の問題から、『Culturalities』論文の邦訳の公開は、今の所未定です。長くなりましたが、本当は、これが言いたかったのでした(笑)。でも、大切なのは、観察されたものを必ずしも言葉の問題として捉えないこと、ではないでしょうか。

ご閲覧ありがとうございました。


平成29年8月29日
太智

20170808

ユーロビジョン合唱コンテスト2017

photo at Innsbruck, 2016

 今回は、あるテレビ番組について、カルチュラリティに関連づけて、書きます。

 ヨーロッパには、ユーロビジョンという、コンテスト形式の歌番組があります。個人対抗形式の紅白のようなもの(?)ですが、今年初めてユーロビジョン合唱コンテストが、催されたようです。私が以前滞在していた、リンツからも1チーム、オーストリア代表として、出場しています。「そうそう、こんな感じだった」と、記憶が蘇ってきます。

 合唱といっても、もともと教会音楽だったようなのですが、内容は、コンテンポラリーなもの、ジャズやダンスや前衛等、色々な要素が入ったパフォーマンスが行われていています。おそらく番組構成としてではないでしょうか。また、女性だけのチームから男性だけのチーム、あるいは混成など。これは、国別の特徴を反映しているのかもしれません。他には、ヨーロッパの人達同士も言語が違うと判別つかないらしのですが、方言を前面に出した民謡を歌ったり。

以上、紹介です。

Rah!!


平成29年7月29日
太智

20170707

「言葉」を記します

From exhibition of Back To Now, U10, Belgrade
Back To Now, U10, Belgrade, Jun 22, 2017.

 テキストを、ブログ的なノートや写真などのメディアも含め — 「文字」や「言葉」と言われている物 — をインターネット上に少し発し始めようかと思います。

 これまでアーティストとして、ある意味、生き残ってゆくために文書や論文を発表してきましたが、これはよくある日記やエッセイに近い内容で、お話できる範囲で、閲覧してくださる方と仮想的なコミュニケーションが取れたらと思います。ですので、作品や論文等に関わる内容、過去や将来の活動、についても言及する可能性がありますが、ある意味、オフレコ(非公式)的な内容、頭をよぎった事、余談など、こぼれ落ちそうなものを拾う感じです。その点をご了承の上、閲覧いただければと思います。

 あと、ホームページデザイン的な観点でも、もっと直感的なコンテンツもあったほうがいいかなと。また、デフォで英語なので、これは日本語で。(笑)


平成29年七夕(新暦)に、
太智